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【ご報告_無事開催終了】ソフトな人類学 〜裏・糸島フィールドワーク編〜
人類学的態度を学ぶ2日間。学べたか学べなかったかは、どっちでもいい。手元にわからなさが残る大切な時間を過ごしました。
合同会社こっからが運営する本屋アルゼンチンを拠点に開催したイベントが無事終了しました。
イベント概要はこちら
東京からお越しの方が大半の中、糸島の「裏」を求めてフィールドワークを実施。
参加者の方の約半数が渾身の振り返りをNoteにまとめています。
参加者の振り返りNote一覧
Photo by Chie Yokoyama
本屋アルゼンチン店主からのわかりにくい感想文は以下です。
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縁とは、主体にとって無関係なものが、有関係なものになる際の「関係を生成するモメント」に関わる作用。因果ではなく、因縁。まさに、皆さんと裏糸島を歩くというのは、その関係を生成するモメントであり、フィールドワークはその作用そのものだった。
これはユクスキュルの環世界、主体と環境世界との織りなす「網目」のアイディアが手がかり。「ある事物が、ある主体の生活世界の有機的脈絡の形作る網目(ネットワーク)にひっかかる。」
ひっかかったんだ。今回。
なるほど、すべて「メッシュワーク」の仕業だったのか。
裏糸島とは(一部)みなさんである。と最後に感想を述べた。
各エージェントの相互作用によって「システム」が成り立つ「システム思考」が頭の中にあったからだ。
裏糸島というシステムを生成するエージェントとして皆さんが確かに存在していた。どこか離れたところにあるものではなく、我々もその一部を形成している。それは因果ともいえるが、因縁という言葉の方がしっくりくる。
縁は「ふち」とも読む。
境界を歩いていたのが皆さんだった。
そこにある無数の「縁」が主客未分化でともに変容が起こっていた。今も起こっている。
巻き込まれつつ、巻き込む。含まれつつ、含む。
まさにフィールドワークでの出会いはそんな感じだった。
聴くことによって、聴かれる人も変化していく。
ただし、出会い(人・もの・出来事)は必ずしも関係を生成するわけではない。これは確かである。肌感覚で知っている。出会っても、なんの思い出にも残らず、見かけても買わない、知っても行かないコンサート。 これを僕たちは「縁がなかった」といって納得する。通常は「なぜ縁がなかったのか?」なんて問わない。
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啐啄同時。仏教の言葉。呼ばれている事象の生起とそれを受け取る主体の準備・行為(ときには準備していないという準備)とのタイミングの合致が、ここで「縁がある」とも言える。
望んだときに、望まれたものが現われる。
しかも、望んだものが、わたしたちに結びついてくれる。
南方曼荼羅を下敷きに、一連のプロセス(企画の萌芽も含めて)と各自がもつナラティブを布置してみる。そしてあの2日間が、あの糸島、本屋アルゼンチンが交わる「萃点」だと言うことを許してもらえるなら、こんな嬉しいことはない。
(萃点:萃点は中心ではないの。そこですべての人々が出会う出会いの場、交差点みたいなものなのね。そして非常に異なるものがお互いにそこで交流することによって、あるいはぶつかることによって影響を与えあう場――それが萃点なの。 by南方熊楠・萃点の思想〈新版〉――未来のパラダイム転換に向けて)
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アルゼンチン、今後もイベント・おもしろコンテンツを実施していきます。